2022年01月04日

「他者の靴を履く-アナーキック・エンパシーのすすめ」(ブレイディみかこ著、文藝春秋)

 「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」で話題になった「エンパシー」。「シンパシー」と似ているようで違う。「シンパシー」は「感情」だけど、「エンパシー」は「能力」なので、努力して獲得することができる、というところまでは、前著に書かれていた。しかし、著者はこの言葉がそこまで反響を呼ぶとは思っていなかったらしい。「エンパシー」について、ちゃんと日本語の読者に向けた解説を書かねばならないな、と考えて、「文學界」で連載記事を書かれた。それをまとめたのが本書とのことです。

(クリックすると Amazon の商品ページに飛びます)

 「ぼくは……」のような、気軽に読めるエッセイ風の本ではありません。初出が「文學界」であることからも分かる通り、非常に硬派な文章です。スタイルとしては、研究論文に近い。多くの文献からの引用を駆使して、「エンパシー」という言葉がどのように使われてきたかを紐解き、論者によってさまざまな解釈があることを紹介していく。このスタイルだったら、巻末に「参考文献一覧」を載せてもよかったのではないかな。

 その中で、著者自身はエンパシーと「アナキズム」との関連に強く関心を寄せる。本書の最後の方では、頻繁に「アナキズム(民主主義)」という表現が登場する。「上からの支配を拒絶するアナキズムは民主主義の本来の姿であり、それを健全な形で実現するためにはエンパシーの能力が欠かせない」というのが、著者がたどり着いた終着点のようだ。

 「上からの支配を拒絶する」という考え方は、若くして日本を飛び出した著者の生き方そのものでもある。本書の序文で、著者は「わたしは自他共に認める売れない書き手」だ、と述べているが、そりゃあね、「長いものに巻かれる」ことを美徳とするこの国で、一貫してアナキズムに共鳴するこの人の本が、爆発的に売れるわけがない。「ぼくは……」が売れたのは、単純な「母子の成長物語」として受け入れられたからでしょう。だけど、ブレイディみかこさんの本質はこの本の方だと思う。また、そういう前提で「ぼくは……」を読めば、読後感もまた違ってくるでしょう。

 これからの民主主義がどうなるのか、というのは、とても気になる問題です。前回の衆議院選挙でもそうだったんだけど、自分の意思を託したいと思える代表者がどこにも見当たらないし、かといって自分で政治に参加する余裕はない。このままで良いとは全く思えないのだけど、どうすればよいのかという代案も思いつかない。簡単には答えの出ない問題だけど、考え続けるのが大事なのかな、と思っています。

タグ:読書
Posted at 2022年01月04日 10:55:46
email.png