2022年10月21日

科研費の使い方について

 知らない人のツイートだけど、めちゃくちゃ笑いました。ほんまこの通りですわ。

 2022/10/22 追記:あまりにも内容がなかったのでもう少し足します。30〜40年前の文部省大学課の担当者たちは、ほんとうによく勉強されていたと思うんですよ。学問とはどういうものであるべきか、という議論を大学教員相手に戦わせるだけのバックグラウンドがあった。もちろん研究者とは立ち位置が違うので、それこそ「税金を使っていることを忘れないでください」とクギを刺す役割ではあったのだけど、大学研究についても一定の見識を持っていたし、研究者へのリスペクトもあった。何よりも大事なことは、ちゃんと「潤沢とは言えない国家予算をいかに活用して、日本の将来に向けて種をまいていくか」という発想を持っておられたことです。私はそういう(文部省の)方々を遠くからしか見たことがなかったけど、当時大型予算をとっていた大学の大先生からはよくそういう感想をお聞きしたものです。

 まあ、当時とは時代も変わりました。当時はたぶんコンプライアンス的にガバガバなところもたくさんあったと思うし、そういう点はずいぶんよくなりました。科研費も硬直的に運用されていたのが、非常に柔軟に、必要に応じて有効に使えるように制度が変わりました。でも、グランドデザインがなんかめちゃくちゃです。この国の将来のために何が必要なのか、という視点が全く感じられない。すごく近視眼的だし、一部の声の大きい人(大企業の経営者とか権力志向の政治家とか)の意見に振り回されているように見える。科研費について「国民の税金なんだから」と言うんだったら、同じトーンでオリンピックに対しても「国民の税金なんだから」と言わなくちゃいけない。国の将来のために役立つことに使え、とクギを刺す役割を取り戻して欲しい。言いやすい相手(たとえば大学や小中高の教員)にだけ言うんじゃなくって、誰に対しても(たとえば森喜朗氏)同じトーンで言って欲しい。国家公務員というのは、本来はそれだけの権限を与えられているはずですよね?

タグ:社会
Posted at 2022年10月21日 20:32:00
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