2024年01月13日

「日本を思ふ」(福田恆存著、文春文庫)

 少し前に「文學界」で福田恆存特集(2023年7月号)が組まれたと聞いて、昔読んだ本を引っ張り出して再読しました。福田氏の「日本」に関わる代表的な論考をコンパクトにまとめた本です。文春文庫ですが、今は絶版になっているようです。

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 本書は2部に分かれており、第1部は「日本近代化にまつはる諸問題」、第2部は「日本現代の諸問題」となっています。第1部では、福田氏の西欧での体験をちりばめながら、日本の近代化について鋭い考察が展開されます。「日本には絶対者の概念がない」という指摘は、現代日本の迷走にも通じるところがあるように思います。

 第2部は、「平和論に対する疑問」で始まります。当時 (1954-1955年) の「進歩的文化人」の掲げる「平和論」に対する厳しい批判で、多くの反発を受けたそうです。そりゃそうだろうな、めっちゃケンカ売ってるもんな。ただ、福田氏は決して戦争を好んでいるわけではない。血の気が多く喧嘩っ早い人が平和論をあざ笑っているのとはわけが違います。「平和」というのは「戦争をしていない」という消極的な価値でしかない、それは人間の行動基準として十分な強度を持っているのか、という点を問うているのです。日本人の平和観を論じた「平和の理念」、バートランド・ラッセルの平和論批判である「自由と平和」もまた、ナイーブな平和論に対する一貫した厳しい批判になっています。

 私自身、ロシアのウクライナへの侵略が起きて以来、ウクライナの人々が勇敢に戦う姿に感銘を受けると同時に、ナイーブな平和論の無力さをつくづく感じました。戦争を憎み平和を愛する気持ちと、冷酷な国際社会の現実との間に、どのように折り合いをつけていけばいいのかがわからないのです。一方、近年とみに力を持っている、軍事力の増強が戦争の抑止力になるという言説は、結局は軍需産業の宣伝文句を代弁しているだけで、都合の悪い現実(結局相手も軍事力を増強するので、戦争が起きる確率は減らない)から目を背けているという点で、ナイーブな平和論と同様に無責任だと思います。

 結局のところ、答えは簡単には見つかりません。「私たちは立ち止まるほかない」という福田氏のスタンスは、今なお有効であるようです。考え続けなさい、ということでしょうね。

タグ:読書
Posted at 2024年01月13日 00:57:03
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